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TOEIC900点目指して


by fshohei
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大和撫子は帰国子女に勝てるか?

結論から言うと、日本人として生きるというコンテクストでは「勝てる」。帰国子女の場合TOEICで、

リスニング495+リーディング350=845点

という摩訶不思議な点数があり得るようだ。帰国子女ではない場合、この得点差、しかもリスニング満点にもかかわらず、リーディングは中級(なぜならその倍が700点であり、それはあくまで「中級」と言えるから)というのは到底信じられない。

私は中学時代後半つまり高校受験の時に英語が最も得意な科目で、予備校でもクラスの帰国子女に小テストや模擬テストで十分勝ち越していたような記憶がある。

では大和撫子(=英語が喋れない)が帰国子女(=英語が喋れる)にペーパーテストの点数で勝つということはすなわち「受験英語は使えない」ということを意味するのだろうか?例えばアカデミックの世界で修士以上の学位を取るという時にライティングのスキルが一番重要であるといっても過言ではない。いざライティングとなると、特にアカデミックライティングとなると帰国子女はガチガチの受験英語戦士に歯が立たないのが現実である。




帰国子女は一般に高校や大学(学士レベル)を英語圏で過ごしたというだけで、特にアカデミックな英語は知りません。なぜなら大学学部レベルででアカデミックライティングが求められることがないからである。また、日本語を幼少時に習得し、それが完成しないまま英語という外国語に浸るため言語的感性という意味での軸がしっかりせず、英語の日常語は自然と口からでるかもしれないが、書く言葉について、日本語も英語も片手落ちになる可能性があるということである。

もちろん帰国子女は自ら望んでその環境を選んだのではなくそういう環境に生かされてしまったのだから仕方ない。またこれは大和撫子の一種の負け惜しみでもある。しかしここで言いたいことは、「受験英語は使えない」という一般論に流されていてはいけないということである。本当に受験英語を極めた人は、英語圏の修士課程以上で求められるアカデミックなライティングを難なくこなすことだろう。しゃべり言葉と書き言葉は明らかに違うものである。そしてアカデミックの世界という意味で言うと、書き言葉99%の口語1%と言っても過言ではない。

もともと日本人は言語学的な違いの大きさから英語を学ぶことが非常に困難である。それなのに、修士や博士をそこまでの苦労がなく取れる人が多数いるということは奇跡に近いことだ。その根源の可能性の一つはやはり受験英語だ。受験英語を制することが大和撫子が世界で渡り歩く必須条件なのだ。
by fshohei | 2004-11-27 10:50 | 脱線